2015-04-27

次元について

次元ごとに学ぶ課題というのか、知る事柄が違います。

1次元の存在とは、水とか石とかです。
1次元で学ぶ・知るのは
  「存在しているということを知る
です。

そして2次元の存在とは、植物とかです。
2次元で学ぶ・知るのは
  「個としての意志があるということを知る
です。

そして私達は地球人、人間は3次元以上の部分にいます。
私達は1・2次元の概念をクリアして3次元にいます。
3次元の人間でありながら、
「自分が存在していることが理解ができない」「人に意志があることが理解できない」
という方はあまり居ないのではないかな、と思います。
そして、2次元の植物も、自分が存在していることを理解しています。

そんな感じで、自分より数字の少ない次元の概念には自由に触れることができます。
そしてそれは、足し算というより掛け算のように絡み合っていきます。
X軸が1次元の「存在している」という概念だとして、
Y軸が2次元の「意志がある」という概念だとしたら、
X×Yは、その概念の上ではいくつにでもなれると思います。

では私達のいる3次元は、というと、
  「自分を愛することを知ること
だと思っています。

これがZ軸だとすると、Z軸だけを考えればいいのかというと、そういうことではありません。
X×Y×Zなので、存在している様々な事柄を把握できること、
更に人それぞれに意識や思いがあることを理解し、それらを前提とした上で、
自分を愛するという事項なのではないかなと、そのように私は感じています。

なので、4次元の方というのはその項目をクリアしている方々のいる部分です。
この4次元に居る方々は、自分を大切にするために
優先すべき事項を把握することができます。
そんな方々がいる、4次元で学ぶ・知るのは
  「相手を愛することを知ること
だと思っています。

これまたX×Y×Z×4次元軸なので、「自己犠牲」とは全くわけが違います。
自分を愛していることを大前提とした上で相手を愛する、ということです。
なので、5次元以降の方々は、「調和」の概念をお持ちなのだと思います。



ブログ記事を読む前に

こちらの記事をチェックしてから他の記事をご覧ください。

当ブログをご覧頂く前提として、ご了承下さいますようお願い申し上げます。

何かありましたら、こちらの記事に随時追記させていただきます。



  このブログが世の中の全てだとは思わないで下さい。

自己紹介にも書かせて頂きましたが、
こちらは自分が感じていることを書いているだけのブログです。

嘘だと思って真実のように書いていることはありませんが、
「こうです」と断定的な書き方をしていても、
ここに書いてあることは間違いや勘違いをしている部分もあると思いますし、
自分が本当だと言ったからといって、全てが真実だとは限りません。
どうかこれが「全て」だとは思わないで下さい。

もしここに書いてあることが「本当のこと」だと思われても、
事柄の「一面」だと思ってとらえていただきたいです。

ひとつの図形をとらえた時に、
Aさんが「二等辺三角形」と言い、Bさんが「丸」だと言ったとき、
「本当の図形の名前は円錐だった」というお話し(問題?)があると思います。

AさんもBさんも正しいのですが、一番客観的な答えは「円錐」です。

それと同じように、もしこのブログを見て本当だと思われても、
このブログを見て自分が感じた形はまだ三角形かもしれない、
と捉えていただけたら嬉しく思います。



背景として【過去】

本スレで「(自分の)幼児の頃の環境とか両親との関係、育ち方」について聞かれ、
背景として、「アトランティスの記憶をもつ人スレ」の始めに書かせて頂いておりました
私の過去について、転載させていただきます。
(内容は変わっていませんが、誤字は見つけ次第訂正致します。)



以下、転載です。



スタートは親の話しから。 
自分の母は、まわりでも有名な「見える人」だったらしい。 
学生の頃からバイト先にも「こいつ、なんの仕事してるかわかる?」とか初対面の人連れてこられて、 
「わかるわけないじゃないですか」 
って言ってるのになんとなく見えちゃって、 
「普段白衣きてますか?」って聞いたら研究員やってたり、 
「オルガンみたいなやついじってます?」って聞いたらオルガン作る職人だったり、 
見る仕事してるわけじゃないのに接客業先にうちの母目当ての客が居るくらい 
見えることで評判だったらしい 

母はいつも 
「心を開いていれば誰にでも見えるから」 
と言っていた 
そんな母が見えなくなったのは私を産んだ日らしい 

見えなくなった理由は、おそらく父がダメな人すぎて母が心を閉ざしてしまったことが 
要因のひとつだと母もまわりも思っているらしい 
(自分もそう思っていた) 

どれだけダメかって身内の恥をさらすのもなんだけど、 
ワガママでDVな感じで、 
母が自分を生む前にもストレスで早産しそうになって 
病院から「家族との引き離し命令」がでるほどだった。 
それで母は母の姉の家の屋根裏部屋にかくまってもらってずっと横になって 
1月以上安静にしてすごしていたらしい。 

そして自分が産まれた。 
産まれてから2歳までは普通の子だったけれど、 
2歳からいきなり 本当に急に極度の虚弱体質になった。 
毎日38°の熱があり、37°で調子のいい、天気の良い日(低気圧の日は体調すこぶる悪いので)に木陰で1時間遊ばせたら 
全身火傷してしまってまさかの「難度」 
全身包帯で死にかけ、全身の皮膚がかさぶたで剥がれる経験をした 

気管支も弱く、「横になって寝ると死ぬ可能性がある」程ひどかったので、 
ずっと座った体制で睡眠をとっていた 

アレルギー検査をしたら検査できるもの全てにひっかかり、 
アレルギー値も健常者の数百倍という病院でダントツの過去最高記録を更新。 
「何を食べさせたらいいですか?」 
と聞いても、 
「食べても命の危険があるけれど、薬もあまりダメなので食べなくても死ぬので 
 調子のいい日に少しずつ試してみてください」 
と言われたらしい 

中学校あがってからはだいぶマシにはなったけれど、 
体育は見学、ではなく見学も禁止だったし、休み時間も外出は禁止だったし、 
遠足はドクターストップだったし、マラソンは下見禁止だったし、 
インフルエンザはその年にはやっているものは全てにかかるものだと思っていたし、 
(A型とB型は流行ってたら「今年は2回インフルエンザor同時に2つのインフルエンザにかかるのか」的な勘違い) 
風邪をひいたら当たり前に肺炎に移行するものだと思っていた。 

そんな感じで当たり前に給食も自分だけ残してOKだったり特別扱いだったから、 
小学生、特に低学年の頃なんかはまわりは面白くないし理解もできなかったらしく、 
陰湿なイジメを延々と受けていた。 
靴をゴミ箱に捨てられたり、机のなかの入れておいたものや置き傘がなくなり続けたり、 
「こっちこないで」「触らないで」と手を叩かれたり、席が近くなると嫌なことをいわれたりしてた。 

母には今思っても本当に苦労をかけた 
病院に行くお金も馬鹿にならないから、お金がないわけではないのにお金をくれない父のせいで 
母の分の食費をけずったり、何かを売ったりして私を病院に通わせてくれていたらしい 
何も文句を言わない母を見かねた病院の先生が 
「包帯の交代だけだから、お昼においで」 
と声をかけてくれてお金をとらずに毎日包帯を替えてくれたり塗り薬をぬったりしたこともあったと言っていた

そんな母は自分が幼稚園児の頃は父の暴力にも耐えていたらしい 
経済的DV・暴力のDV・1番ひどい精神的DVの3種に耐え、 
守りながら本当に惜しみない愛情をくれていたと感謝している 
(小学校にあがる前に「暴力は我慢できません、離婚して下さい」と三指ついてからは 
なくなって、本来の精神攻撃だけになったといっていた) 

私が小学校にあがるときに、父の実家に家族で越すことになった 
それからの父はとても落ち着いた人になっていった 
けれど、母は逆にどんどん追い込まれていったらしい 
自分に当たるようになってきた 
割れ物を投げつけられたり、いきなり叩かれたり、返事の仕方が悪かったからと家の外に立たされたり、 
体が弱かったのもあって本気で死ぬかと思ったことが何度かあった 

今思ってもちょっと気持ち悪いくらいに、自分は本当にポジティブに生きているし、 
小学生の頃なんかは本気でネガティブなものの考え方、というものが存在しなかった 
(今はちがいます!こんなに悟った考え方できません) 

小学校1年時、母に殴られた時に自分が母に言ったことは 
「今までも苦労をかけて今は更に大変なのに、何もできないどころか通院に付きあわせてごめんね。 
 こんなにストレスためるまでがんばらなくても、できることはなんでも手伝うからね」 
だった。 
心の底から母をにくいとも怖いとも思わず、申し訳ないけれど、いつも本当にありがたい。感謝だなとしか感じなかった 

小学校でいじめられていたときにも、今はこれいじめだよなーと思うから「イジメ」と書いたけれど、 
実は本当にいじめられていたことに気付かなかった 
置き傘が立て続けに3本盗まれたときに先生が心配して、フォローするように 
「きっと誰かが間違えて持って帰っちゃったのね」 
と声をかけてくれたとき、 
「でも最後に代わりの1本もなかったから、雨が降って困ってたのかもしれないね。 
 自分は家に電話してくれた先生と、迎えに来てくれたお母さんのお陰で濡れなかったけれど、 
 持って帰った人も雨に濡れずにすんでたらいいね」 
と言って、誰かの役に立ててるなら嬉しいと本気で思った 

靴がゴミ箱に捨てられていたときですら、 
「間違えて捨てたのかな?おっちょこちょいな人がいるな 
 ゴミ箱だなんて、普通は見つけられなさそうなのに見つけられた自分はラッキーだな」 
と思った 

けれど、父が母に何かひどいことを言ったら自分だけは絶対に言い返したり 
盾になったりしていた。 
大切な人が悪く言われたり傷つくのは腹が立って仕方がなかったし、 
とても見ていられなかった。 
文句の言い方もとても小学1年生ぽくはないけれど、 
「自分ではお金がない自分を病院に通わせてもらえてることには感謝してるけれど、 
 母は悪くないのにそんな言い方しないで欲しい」 
とか、そんな感じだった 
そして父に、 
「そんなに言うなら病院に付きあわせた自分が1番悪いから。ごめんなさい 
 けれど治したくてがんばるからどうか見ていてほしい 
 父は病気の自分がにくい?本音では死んで欲しいと思ってる?」 
と聞いた時に、 
「あぁ、死ねばいい」 
と言われたことがあったけれど、そのときにも 
「そんなことまで言わせておいつめて、悪いことをしてしまった」 
と反省したのを覚えてる 

自分に何かをされたり言われて怒ったりしたことは皆無だったけれど、 
大切な人が傷付けられるのには耐えられない人間だった

「優しい子だな」とかそういう話しではなく、全く傷つかなかった図太さを評価して頂けたら嬉しいと思う 

割りと最近、こういうことがあったんだよねーと昔のことを普通に話した時に、 
「それは…辛かったね」 
と涙ぐまれた時に、 
「え?」 
と驚いた、という経験をしたことがある 

「誰でも辛いことも楽しいこともあるから人生でしょ? 
 両方あったから普通だよ」 
と答えたら 
「すごいね」 
と言われて、その時は何がすごいと思われたのか本気で1mmも理解ができなかった 

で、小2にあがって自分の誕生日の日 
悲しいことに、自分の家族は誰も自分の誕生日を覚えてくれている人がいなかった 
ひとりでも祝ってくれていた母も、追い詰められていたため日にちの感覚がなり忘れてしまったらしい 
そのとき初めて「かなしい」と感じた。 

その夜に、前スレで書かせてもらった初めて地球に来た日の夢を見た 
夢なのに、建物から出た後に海で同郷の人とドライブ(?)をしたときに感じだ水しぶき、 
風、海のにおい、全てが詳細に感じることができて、 
「これは未来?過去?別の世界?わからないけれど、実際の出来事だ」 
と直感というかなんというか、で感じた。

この日から夜驚症・夢中遊行症・過眠症・ナルコレプシーを発症した。 
(ナルコレプシーの発症日はわからないけれど、この頃からなのでこの日だと思ってる) 

寝てばかりでおきていられない、眠くなる、いきなり眠る、寝ながら歩く叫ぶ暴れる、 
病名だとこの4つだけど、自分の感覚としては 
「ひたすら夢を通して違う自分を見続けていた」 

ひどい時期もあればあまり出ない時期も、波があったけれど、 
夜驚症と夢中遊行症は高校あがる頃には落ち着いた 

で、この小2の誕生日の後頃から普通に「人が心で発信していること」が聞こえるようになってしまった 
はじめは、感情なんかは表情見ればわかるし誰にでもわかる普通のことだと思っていた 
少し他の人と聞こえ方が違うのかもしれないぞ、と感じたのが、 
「昨日みた映画シンデレラの話し、○○ちゃんにしよう」とかそんなことを 
口に出さずに心で発信していた子にたいして、 
「○○ちゃんは今トイレだよ。シンデレラって面白い?」 
と話しかけたらきみわるがられた。 
といったことを繰り返しているうちに、 
「話しかけてないのに返事しないで」 
と言われて、 
「え?今の誰にはなしかけてたの?」 
と聞いたら 
「何も言ってないよ」 
と言われたのが自分の中で決定打だった

けれど、自分には人の考えてることや思っていることは全くわからなかった 
それで、自分が聞こえてるのは「潜在意識から発信している意識」だと感じた 
つまりいろんな人が飛ばしているテレパシーを受信していただけ、という感じ 

なぁんだやっぱり普通のことじゃん 
みんながやってるテレパシーの、受信側が少ないっていうだけでだれでもやってることじゃん 
と自己解決したけれど、誰かに何かを質問するにしても相談するにしても、 
厄介者扱いされていたので、 
「こういう言い方したら先生にチクられるかもしれないし」 
とかテレパシー飛ばしながら一生懸命気を使って応えてくれる子達ばかりだったので、 
「嫌なのに応えてくれるのは嬉しいけれど、嫌な思いをさせてまで申し訳ないな」 
と思ってしまい、あまり人に相談をしたりすることができなくなってしまった 

そんな感じで不気味なほどまっすぐそだって言った小学生時代だった 

中学校にあがってからは、父にも母にも反抗するようになった 
「理不尽」というものに対してものすごく嫌悪感というか、ゆるせない感があった 

ここまで話しには全く出てこなかったけれど、 
自分には4つ下の妹がいて、 
父も母も私に辛く当たり、妹を猫可愛がりすることで自分を保っていたらしい 
父母妹がそれでいいならいいか、と思っていたけれど、 
その猫可愛がりがプレッシャーになり、妹が小学生にして帯状疱疹になってしまったところから 
父と母が許せなくなってしまった 

妹が帯状疱疹になった理由はずっとプレッシャーだけだと思っていたけれど、 
私に対して理不尽に当たる父と母にたいするやるせなさというか、怒りも理由だったらしい 
そこから、 
「妹のために、私に当たるのと妹へプレッシャーをかけるのをやめろ 
 せめて妹に見えるところで何かするのやめろ」 
と訴えたけれど、父も母も自分にされたことへの報復というか、 
怒りを訴えていると思い違いをして会話にならなくてもどかしかった 
それでも何度も何度も訴えた 
結局今でもあの時何を訴えていたのか伝わらなかったけれど、3年間訴え続けた

中学に入ってからは不思議と体調も回復して、体育の授業にも出るようになっていた 
けれど、初めての「怒り」を父と母に向けたところから、テレパシーを受信できなくなってしまった 
代わりに耳鳴りがよくするようになり、金縛りに合いやすくなった 
というか週に5~6回は金縛りにあってた 
これが3年間 

今思うと合わせてるラジオ番組の周波数が変わってしまった感じだったと思う 
テレパシー受信できてたのが800だったとしたら、 
怒りで疲れちゃって300まで落ちちゃってそこの周波数の「幽霊」とか怖い系を受信しやすくなっちゃった、という感じだと思う 

この頃初めて幽体離脱だったり、電話をすれば戦争時の飛行機の無線のような音声が入ったり、 
眠ってたら女の人が倒れてる映像が見えたり、いつまでも覚めない夢に苦しんだり、 
というあまり経験したくない経験が増えてしまった。

あーーー 
怖いの本当に苦手で、ホラー映画とか怪我する映画とか手術するドラマとか見れないタイプなんです 
だから怖いの思い出すだけで鳥肌やばいのでそこらへんは詳しく書きません 

あと、中学時代にあったことといえば、 
部活の顧問の先生がオーラ見える人だったんで興味本位で見てもらったり、 
ドラゴンボールの悟空の気を集中させる練習みたいなやつやったのが印象的でした 
手を胸の前でボールをつかむようにかまえ(?)て、気を集中するやつ 
そのとき遊び半分で部活の子たちでやってたら、自分だけ「バチバチッ」てプラズマボール?静電気のおもちゃみたいなやつ 
あれみたいな電気走って部活の子たちにちょっとひかれたのもいい思い出 

昔から静電気体質で、よく電化製品壊すからそういうタイプなんだなーと思ってた 
(未だに携帯も買った日に電源入らない×3台交換とかよくある) 

高校では、不思議体験?あまりなかったけれど、勉強に関するそんなんがあった 

その頃過眠症とナルコレプシーに本当に悩んでて、 
授業中にも寝ちゃうからついていけないし、 
まさかのテスト中にも答え書き終わってないのに寝ちゃったりすることもあって散々だった 
とある中間テストが過去最悪だった 
いつも真ん中くらいだった成績が、後ろから6番目位だった(350人位中) 
復習してても気づいたら寝ちゃったりしてたし、 
お風呂で寝ておぼれたりしてたし、本当に日常生活にこまるレベルだった 

その同じ学期の期末テストの日、ふと気がついたらテストが終わってて、 
青ざめながら席が近かった仲のいい子に、 
「ねぇ…もしかして自分テスト中寝ちゃってたかな。わかる?」 
と聞いたら、 
「最後まで起きてたと思うよ」 
と言われ、結果を見たら学年2位だった 
ちょっと自分こわいと思ってしまった出来事

多重人格を疑ったこともあるけれど、こんなにストレスないのになるわけないと思いながらも 
勉強に差し支えるのも困っちゃうしと思って検査をしたこともある。 
ストレスは貯めやすいタイプとは言われたけど特に多重人格とかではなかったから 
あれはなんで2位になったのか未だにちょっとよくわからない。 
周りには「やれば出来る子だから」と言って手柄を自分のものとしておいた 
素行は悪くなかったのでカンニングは疑われずに済んだけれど 
「やってできるなら普段からやるように」と担任に内申書の指導されたりした 

まぁそんなこんなで、 
ちゃんと書いてなかったけれど現在は今年28歳で3歳の子どもがいる 
離婚歴1年のシングルマザーをしている 
過眠症とナルコレプシーも、妊娠してからなくなった 

テレパシーは受信できたけれど、全然平々凡々と暮らしていた 
けれど妊娠してからは色々なものの見え方が変わってきた 

これ整理できてないから表現が難しいけれど、いきなり世の中への視野が広がったというか、 
多次元な考え方が理解できるようになった 
前は自分が意識を向けてる相手、とはいえ、同じ位の周波数の人のテレパシー受信ばかりだったけれど、 
すんごい高い周波数のテレパシーも受信できるようになった 
つまり赤ちゃんとか胎児の想い?発信してることが受信できるようになった 

そこから、子どもがうまれて他のテレパシー飛ばすタイプの赤子と接することが増えるうちに、 
寝ることなく前世を感じることができるようになった 

自分の子どもも外の星の由来で、 
外の星にいた頃からの付き合いがあるというか、その頃から大切な存在だった



ラベルについて

ブログの記事にはラベルをつけさせて頂きますが、
そのラベルの意味をこちらで紹介させていただきます。

ラベルが増え次第こちらのブログにも追記させて頂きますので、
 「このラベルはどういう意味だろう」
と思われましたら、こちらのページを御覧ください。



 Occult … 視覚・触覚で感じることのできない事柄など、
        証拠のない事柄に関する記事。

 Thinking … 私の考え方についての記事。

 Blog … どのラベルにも該当しない記事。
       (当記事など)

 Reprinting … スレにも同時に書き込ませて頂いている内容や、
           スレから転載している記事。



ご挨拶

初めましての方も、スレからのお付き合いの方も、
こんにちは。アルです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


自己紹介をさせて頂きますと、私はにちゃんねるのオカルト板のスレ

 自分の前世の記憶あるやつちょっと来て語れ Part19


に書き込ませて頂いたことから、
スレを立てて頂いた、本スレ630=アルのブログです。



プロフィールにも書かせて頂きましたが、
アルというのはアトランティスにいたときに呼ばれていた愛称です。
ブログ名のアルヴィースとは一切関係ありませんが、
好きな響きだったので使わせて頂きました。

更新はとっても不定期になる予定ですが、
それでも良いという方はどうかよろしくお願いいたします。





このブログを、

本スレで「俺はあなたの話し信じるよ」と言って下さり
私のためにスレ立てまでしてくださった1 ◆/iTASxkSoM さん、

そして沢山の嬉しいやりとりをさせていただいた205さん、

見ることを楽しみにしていると仰って下さった276さん、

たくさんのことを教えて下さった156のお坊さん、

ご友人もご本人も只者ではないお方、

他たくさんのヌクモリティを下さった皆様に捧げます。